2020年01月22日
どうぶつたちのお見送り
こんにちは、獣医師の伊藤です。
ちょっと難しいお話です。
どうぶつを飼っている以上、かならず避けられないもの、死というおわかれがいつかやってきます。
私は色々などうぶつと接していますが、勿論、どうぶつにお話を聞くことはできませんが
どうぶつは私たちヒトよりずっとずっと単純明快です。
「死にたくない」と嘆いたり「もっと早くなんで病院に行ってくれなかったの」と後悔したり、恨んだり、そんなことは絶対にないと思います。
もっとスパンの短い「今が快適・不快」くらいだと思います。
「死」という概念もないのだと思います。
置いていかれて悲しいのはヒトばかり…後悔したり、もっとああしたら、早くできたら、もっとできたことがあったんじゃないか…あれこれ考えてしまうのは、当たり前です。
それはどんな治療や生活をしていようとも、どれだけ気を付けていようとも、覚悟していても、必ずあります。
それでもそれを少なくできるように過ごしてほしいですし、病院というのはそういう面でのサポートできる部分でもあると思っています。
痛いこと、苦しいことからは出来る限り解放してあげなければなりません。
病院という立場上、突然に起こることもあれば、病気が分かり徐々に進んで行ってしまう事や
色々な状況に立ち会う機会がどうしてもあります。
今でも忘れることのないわかれもたくさんあります。
死は必ずやってくる。
その時を、少しでも後悔を少なく「この子に出会えてよかった」と思えるように過ごしてほしいです。
寂しさでいっぱいになりますが、それまでの長い間、幸せで楽しかったことをたくさん思い出してください。
上に書いた通り、どうぶつに死の概念がほとんどないと思います。
たとえば病気になり、迫りくるその気配を感じている方もいらっしゃるかもしれません。
年を取り、いつかやってくるものがだんだんと遠くなくなってきているとふと思う方もいらっしゃると思います。
不安な日々やつらい日々はとても長く感じますが、実は楽しかった日々はその何倍もあったはずなのです。
寂しさでおしつぶされそうでも、いつか「うちに来てくれてありがとう」と思える日々がくるはずです。
無理して「早く乗り越えなければ」「忘れなければ」なんてことは、絶対にないです。そんな必要はありません。
私も今飼っている猫は13歳。
10年先にいるかどうかはあやしいです。
一度だけけいれんを起こして意識がなくなったことが去年あり、「いつか来るその日」というものを強く感じました。
(今も元気モリモリです)
居なくなることは考えられないほどですが、それでも「いつか」はやってきます。
その時を迎えた時、迎えるまで、この子らしい過ごし方をしてほしいと強く願っています。
非科学的ですが、不思議と亡くなってしまった後も気配がしばらくあるというのは、良く聞きます。
いつもの時間、いつもの場所、良く聞く足音、カーテンが揺れる…
怖くはなく「あ、いるんだなあ」と思えるような経験をされている方は結構います。
少しずつそういった気配が薄くなっていき、日常が過ぎていくことが多いです。
「たぶん、まだしばらくいると思いますよ」とお伝えすることがありますが、私は本当にそれはそう思っているのです。
よくご相談をうけるのが、お別れの時はどうしたらいいのか、というもの
ペット霊園さんにお願いするケースが多いと思いますが、そのあとお骨が戻ってきた後など
どんな風でも構わないと思っています。
ずっとそばにお骨を置いている方、庭に埋める方、極端な話骨を食べてしまいたいという方もいるといいます。
とくにそのあといつまでにどうしろ、という決まりはありません(宗教によってあるかもしれませんが、明確に決まりはありません)
ご自身が納得されるまでそばに置いていてもいいと思っています。
私はわんこの毛は今でも持っています(すでに10年以上前です)
こういったお話はあまり普段お話しすることではない部分ではありますが
いつか来るもの
命を飼うというのは、そう言う事も含めて「ともに生きること」だと思います。
少しでも後悔がなく、楽しく(当然ですが毎日考えて覚悟する必要はありませんよ!)過ごしてほしいと思っています。
難しいお話なので、加筆修正するかもしれません。
ここを見ることはないかもしれませんが、落ち着いて見る日が来たとき
私はあの時、うまく伝えられていないと思います。
どうか後悔しないでください。
思い出して泣けてくる日は長いかもしれませんが、それだけ大切にしたということを忘れないでいてください。
「もう苦しくない」です。
ちょっと難しいお話です。
どうぶつを飼っている以上、かならず避けられないもの、死というおわかれがいつかやってきます。
私は色々などうぶつと接していますが、勿論、どうぶつにお話を聞くことはできませんが
どうぶつは私たちヒトよりずっとずっと単純明快です。
「死にたくない」と嘆いたり「もっと早くなんで病院に行ってくれなかったの」と後悔したり、恨んだり、そんなことは絶対にないと思います。
もっとスパンの短い「今が快適・不快」くらいだと思います。
「死」という概念もないのだと思います。
置いていかれて悲しいのはヒトばかり…後悔したり、もっとああしたら、早くできたら、もっとできたことがあったんじゃないか…あれこれ考えてしまうのは、当たり前です。
それはどんな治療や生活をしていようとも、どれだけ気を付けていようとも、覚悟していても、必ずあります。
それでもそれを少なくできるように過ごしてほしいですし、病院というのはそういう面でのサポートできる部分でもあると思っています。
痛いこと、苦しいことからは出来る限り解放してあげなければなりません。
病院という立場上、突然に起こることもあれば、病気が分かり徐々に進んで行ってしまう事や
色々な状況に立ち会う機会がどうしてもあります。
今でも忘れることのないわかれもたくさんあります。
死は必ずやってくる。
その時を、少しでも後悔を少なく「この子に出会えてよかった」と思えるように過ごしてほしいです。
寂しさでいっぱいになりますが、それまでの長い間、幸せで楽しかったことをたくさん思い出してください。
上に書いた通り、どうぶつに死の概念がほとんどないと思います。
たとえば病気になり、迫りくるその気配を感じている方もいらっしゃるかもしれません。
年を取り、いつかやってくるものがだんだんと遠くなくなってきているとふと思う方もいらっしゃると思います。
不安な日々やつらい日々はとても長く感じますが、実は楽しかった日々はその何倍もあったはずなのです。
寂しさでおしつぶされそうでも、いつか「うちに来てくれてありがとう」と思える日々がくるはずです。
無理して「早く乗り越えなければ」「忘れなければ」なんてことは、絶対にないです。そんな必要はありません。
私も今飼っている猫は13歳。
10年先にいるかどうかはあやしいです。
一度だけけいれんを起こして意識がなくなったことが去年あり、「いつか来るその日」というものを強く感じました。
(今も元気モリモリです)
居なくなることは考えられないほどですが、それでも「いつか」はやってきます。
その時を迎えた時、迎えるまで、この子らしい過ごし方をしてほしいと強く願っています。
非科学的ですが、不思議と亡くなってしまった後も気配がしばらくあるというのは、良く聞きます。
いつもの時間、いつもの場所、良く聞く足音、カーテンが揺れる…
怖くはなく「あ、いるんだなあ」と思えるような経験をされている方は結構います。
少しずつそういった気配が薄くなっていき、日常が過ぎていくことが多いです。
「たぶん、まだしばらくいると思いますよ」とお伝えすることがありますが、私は本当にそれはそう思っているのです。
よくご相談をうけるのが、お別れの時はどうしたらいいのか、というもの
ペット霊園さんにお願いするケースが多いと思いますが、そのあとお骨が戻ってきた後など
どんな風でも構わないと思っています。
ずっとそばにお骨を置いている方、庭に埋める方、極端な話骨を食べてしまいたいという方もいるといいます。
とくにそのあといつまでにどうしろ、という決まりはありません(宗教によってあるかもしれませんが、明確に決まりはありません)
ご自身が納得されるまでそばに置いていてもいいと思っています。
私はわんこの毛は今でも持っています(すでに10年以上前です)
こういったお話はあまり普段お話しすることではない部分ではありますが
いつか来るもの
命を飼うというのは、そう言う事も含めて「ともに生きること」だと思います。
少しでも後悔がなく、楽しく(当然ですが毎日考えて覚悟する必要はありませんよ!)過ごしてほしいと思っています。
難しいお話なので、加筆修正するかもしれません。
ここを見ることはないかもしれませんが、落ち着いて見る日が来たとき
私はあの時、うまく伝えられていないと思います。
どうか後悔しないでください。
思い出して泣けてくる日は長いかもしれませんが、それだけ大切にしたということを忘れないでいてください。
「もう苦しくない」です。
Posted by 奄美いんまや動物病院 龍郷町中勝にあります。 9:00~12:00、15:00~18:30 休診は水曜、土曜午後、日曜祝日 時間外はお応えできない場合があります。 0997-62-3310 090-2085-2649 https://inmayaanimalhospital.jimdofree.com/ at 02:03
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